ブログの効用
先日アップした記事と、その直前の記事を読み返したら、100日以上間があるのに、ほとんど同じことを書いている!!
同じようなことを感じ続けているのか!?
というより、同じことを感じるのなら、もっと明確に、どうしたいかをはっきりさせておいた方がいいのじゃないか、と気づいた。
自分の意志と、周りの気持ちを、うまく共存させていく方法をいつも考えているんだな。
でも一つには、いつも周りを優先させている!と被害者意識に陥りがちだけど、自分で望んでやっている場合もあるし、周りが協力してくれてる場合もあるってことにもう少し気付きたい。
自分で望んでやっている場合、というのは、まず家族が大事だ、という気持ち。
これは、犠牲者精神というより、本当に家族が私にとって一番大事だから、やっている部分がある。だけど、それをやっているときにも、もっと自分のことを細かく優先するといいと思う。ちょいちょい、息抜きをするっていうか。
人に頼むのが嫌だったというのもある。人に任せたくないという気持ち。親が近くにいれば預けられたけど、いないから仕方ない。
息抜きが、下手なんだよね、真面目すぎるっていうかさ。
でも、まあ、それもいいところとしよう。
それから、周りが協力してくれてる部分もある。私の趣味に付き合ってもらってるし。
言ってみれば、全然いいよ〜みたいなのがほとんどだし、自己主張するときに、たとえ相手から、反対意見や感情的なNOがあっても、“まあまあ、話し合いましょうよ。“という精神を持っておきたい。
反対意見が出るだろうから、主張しない(自分を抑圧) or 反対意見は押さえつける(相手を抑圧)。
このどっちかじゃなくて、共存していきたい。“まあまあまあ。“っていう、精神で。
それから、意外と昔夢見たようなことが、叶っていたりする。
なのに、夢見るときは、強烈なのに、叶うときは、スルッと叶っていて、違和感なさすぎて、“いつかの夢が叶った“ということに、気づかないことがある。
いや、もっと気付こうよ、という感じ。
スノーリゾートの計画や、子どもの教育プランなど、数年前くらいになんとなく願っていたことだよね?
“時にかなって美しい“、というそうです。この、実が熟すに時あり、というような表現、とても美しいなぁと思う。物事にも機がある、ということで、それを待つ楽しみのようなものを感じさせる。時を待つ楽しみ。
それと、家族のことも一区切りついたから、大きな意味で、これからはもっと自分を優先させていけると思う。なので、これからは、自分と周りの共存というより、自分の行きたい方向を、よりはっきりさせて、それを主張して、周りと協調していく、というのがいいと思う。
目標を、はっきりさせる。
舟唄を弾く。もう絶対。1年あれば、なんとかなるのでは?
自分らしい仕事を紡いでいくことは、変わらない。
ただ、その比重は、ずっと前のように、生活のほとんどを占めるような形には、もうならない。
家族の部分への配分も、変えていく。1と2のバランスで言うなら、1の部分をもっと増やす。私だけの行動を、もっと増やす。週末に友人に会ったり、子どもとは別の行動。絶対もっと気楽に自由にほとんどの人がやっていると思うけど、私の場合、修行みたいに家族の方を優先していた。でもそれにも言い分があって、家族との時間は今だけだけど、また時間が空く時が必ずやってくるから。だから、今は家族の方に集中しよう、と。
だからって、息抜きしたらいいと思うから、やっぱり真面目すぎる。
バランス取るのが、苦手なんだよな・・・。
これ、となったら、そこに猪突猛進になってしまう。
だけど、それもいいところということにしよう。だけど、“息抜きをする“っていうのを、頭に置いておこう。ちょいちょい小さく、息抜きをして、自分のために毎日何かをやるようにしたい。大きいことがすぐできなくても、小さいことなら、毎日できる。
今後は、子どもだけで、実家に帰しても、逆に戦力になるだろう。
本当は一人で海外に旅行に行きたいのだから、まずはリハビリを兼ねて、国内で一人旅をする!とお題目を掲げたものの、いざ一人になったら、逆に何をしていいかわからなくなる、という本末転倒・・・。
ずっと、あの時の私はどこへ?という気持ちがある。
以前は、なんでも自分でできたし、どこでも一人で行っていたし、今考えても、なんでできたんだろうと思うようなこともしていた。考えなしだっただけかもしれないし、今経験が増えた分、慎重になってしまっているのかもしれない。体調変化もあったし、今と昔の自分が違うのも、当たり前だと思う。
こうやって昔は良かったみたいに思っているけど、あの頃の私が今の私を他人として隣から見たら、羨ましいってことだってあるだろう。なんでも一人でやらなくていいし、誰かに頼れる、とか・・。隣の芝は青い、をずっと無限ループでやってるだけなら、もっと成長したい。
でも、あの頃のあの自由な感覚を取り戻したい。
あとは、焦らない。
何者かになろうと、焦りすぎ。日常を普通に生きていれば十分じゃない?