日々の雑記帳

日々考えたことのあれこれ、ピアノ、読書、美術館めぐりなど。

自分の意志を通す

自分の意志を通すのって、簡単なようで案外難しい。

 

一番難しいと思うのが、ほぼ無意識で空気を読んでしまってる場合。

なんとなく、調和なのか協調なのか、周りを読むのがもう習慣化しちゃってて、自分でも気づいていないケース。

 

自分の意志を通すのが、なんだかエゴイスティックなことのような空気がある。

でも、考えてみたら、自分しか、自分の意見も気持ちもやりたいことも、主張してあげれないじゃない?

それなのに、いつもその声を周りの”空気”に合わせてたら、ずっとその声は抑圧して、なかったものにしたまま?

 

大体、その”空気”って、”空気”なわけだから、何か確たるものではないんだよね…。

悲しいかな、それに合わせていたからって、何かが確立されるわけでも、何かが残るわけでもない。

 

自分の本当の気持ちに沿うっていうことが、慣れてないというか、やったことがないというか、どうやっていいのかわからないというか。

 

こんなことを書いているのは、私、もう少し、というより、これからは、自分の気持ちをもっと全面に出して優先していこうと思っているから。

 

なんとなく、自分の役割を優先してやってきたけど、それってどうなんだろう??と。

自分なりに、これまでも、役割からの呪縛と戦ってきたなって思うけど、足跡を振り返ると。

でも、もっと主張していいかなって。いこうかなって。

というより、個々が主張していく世界の方が、みんなが自分の足を地につけている世界なんじゃないかなって思う。

 

自分の意志を通そうとする人に対して、批判ばかりする人って、心の底では意志を通す人のことが羨ましくて仕方ないんじゃないかなと思う。

そうじゃなかったら、無関心でよくない?

きっと、”私は、意志を通したかったのに、通せなかった、遠慮してきた、意志を通すなんて、いけないことだ。周りを優先しなくては。”みたいな、抑圧があったんじゃないかな。

でも、批判にむけるエネルギーがあるんだったら、いっそのこと、今自分が一番やりたいことに思い切ってぶつけちゃう方が、楽しいと思うな。

 

その時に、多分、無理だから、みたいな悲しい気持ちが湧いてきちゃうのかな。

と推察する。

でも、他人のことにエネルギーを費やすくらいなら、もったいないから、そのエネルギーを自分のために使った方がずっといいように思う。

エネルギーだって有限だし、時間も有限。

それなら、それは自分に使いたい。

 

周りとのバランスを感じ取りながらも、自分の意志を通して、地に足をつけて生きていく。というのが、今私がやりたいこと。

 

自分の思うがままに周りも考えず、でもなく、周りばかり気にして、自分のやりたいことをしない、でもなく。

周りとの調和を感じ取りながら、バランスを取りながら、自分の足で歩いて行く。っていう感じ。