日々の雑記帳

日々考えたことのあれこれ、ピアノ、読書、美術館めぐりなど。

2020年10月。ここまできた自分をねぎらい、そしてこの先へ進む。

今年ももう終わりに近づいてきた。

今年は、コロナに始まりコロナに終わるような、激動の一年だった。

誰にとっても、多かれ少なかれ、何かの影響があったはず。

我が家にとっても、直接・間接の影響はあった。

子どもの休校、塾や習い事までもお休み(緊急事態により、強制自粛)、夫のテレワーク化と、それの恒久化。

私個人にとってみれば、PTA関連はほぼ壊滅し、逆に効率化と、本当に必要なものが見えた点も多々。趣味のヨガがオンライン化し、これも逆にスタジオに行かずに済むので、非常に便利。

以上は、外側での状況。

コロナの影響といえば、外側で起きた事象に目が向きがちだけれど、2020年の終わりに近づくにつれ、内面での影響をより大きく感じる。

はっきりとは、これと言えないのだけれど、自粛や緊急事態によって緊張状態にあった時よりも、何かもっと大きな底面での変化を感じる。

目には見えないのだけれど、大きなうねりというか、例えるなら、地下のマグマや、海面下で、不可逆的な、決定的な変化が起きているような感覚がある。

 

それは、今までの、目に見えてきたこと、例えば、子どもの休校を乗り切るとか、夫のテレワークに悲喜こもごもというようなレベルではなくて、もっと大きな、何か根本的な変化。

今までは、『コロナ』という脅威にいかに立ち向かうか、というある意味限定された状況だったけれど、ここからは、『コロナ』をきっかけに始まった、後戻りのできない根本的な変化に入っていくフェーズという感じがする。

それは、個人も社会も。

コロナによって、自分の中の本音、さらにその奥に抑圧されていた本当の思い、気持ち、本心、、、場合によっては、本人ですら気付いていなかったものや、把握できていなかったもの、抑圧されすぎていたもの、、、などすべてのパンドラの箱が開いた。

今後、これまで隠せたものも、抑圧できたものも、もう抑えられないし、とどめておけない。

流れは、本心、正直、あるがままの自分以外のものすべてを押し流していく。

いらないものは、すべて怒涛の流れに飲み込まれて、本来の自分だけが、軽くなって浮かび上がってくる、そんなイメージ。

 

大きな変化の中にある2020年10月、現時点、ここまで来るのにも、すべての人が、いろいろな変化、緊張、思い、様々な感情の中にあったはず。

知らない間に、疲れ、緊張していても、おかしくないし、疲れや緊張を持たなかった人はいないくらいだと思う。

年末にかけては、少しだけでもゆっくりする時間を持って、自分のことを大切にできる時間をできるだけとっていこうと思う。

そんな大きなことじゃなくても、私にとっては、好きな紅茶を淹れて、窓辺でゆっくり味わいながら、庭の土の香りを感じたり、女子目線の小説を読んだり、外の緑を見ながらオンラインヨガをしたり、ボディクリームを塗ってみたり、ただただ深呼吸したり、散歩で近所の緑道と神社とうっそうとした林みたいな古民家の周りを歩いたり、、、そんなことが幸せ。

だけど、それだけじゃなくて、2020年、本当に本当にがんばったね。と、あえて自分に声をかけたい。本当は、自分にも、そしてみんなにも(すべての人に)、そうやって声をかけたい。

そうしないと、知らないうちに頑張ってしまう。変化の中で緊張してしまう。

休校中は、子どもの勉強が心配だった。テレビのニュースになったような出来事が、すごい近所で起きていたこともあった。テレワークで、みんなが家にいる状況も、会話が増えて嬉しいのと、パーソナルスペースがうまく作れないストレスと、ごっちゃになってた。

これまで大好きだった場所にも簡単に行けないし(カフェや美術館など)、行ったとしても、アラート状態で行くから、やっぱりどこか緊張している。

新しい日常。

気づかないうちに、新しい世界へと、みんなが踏み出している。

それは、コロナ対応の生活様式だけを指すんじゃない。

気づいていること・気づいていないこと、その両方の領域で、新しい日常が始まっているし、日々創り出し始めている。

2020年の最後の3ヶ月は、自分に優しく、ここまでのがんばりをいたわり、癒し、励まし、そして、自分の一番深い声を大切に聴きながら、進んでいきたい。