10年前のはてなの日記。時がつながるとき。
はてなブログの使い方が、まだちゃんとわかってないです。
今日☆をもらったという通知がありました。
きっとどなたかがつけてくださったんだと思います。
ごめんなさい、そこに辿り着くのもどうやって行けばいいのかよくわからないです…。
なんだろう、昔こんなじゃなかったのに、と思うのに、20代の俳優さんたちが同じに見えるとか、今流行ってる曲の歌詞にピンとこないとか、いろいろ感じてます。
ゆっくりはてなの仕組みを解明していくので、お礼の仕方もわからずごめんなさい。
自己紹介とか、もう少し充実させたいです。
日々の生活の余力で書いていて、系統立てられない。
いや、系統立てることが元々そんなにできないのかも。
とはいえ、生きてます。そう、日々生きている。もうそれでいい。
いろんな悲しみが出てくるけど、それがどこから出てくるのかもよくわからないことがある。
それでも、生きている。
それで、いいかなって思える時がある。
はてながわからない。どうしてだろう…。
でもね、すっごい昔にはてなブログ書いていたことがある。日記の代わりとして、自分だけ読める形で。
それを化石をみつけたみたいに、10年後に偶然見つけた。
そこには、スイスのベルンを旅して、石畳をBMWが走るときのガラガラガラ、という音と、ベルンの時計台と教会、そしてこんな街に暮らしたら、どんな気分だろうって書いてあった。
すごく不思議だったのは、日記を見つける直前に、ベルンで暮らすことになった家族の元を訪ねて2週間ほど暮らしたこと。忘れた日記にふと記した想いが、叶っていたんだと気づいた瞬間。
そんなことが幾つかある。
10年前の自分に想像がつかなかった今。
10年前の自分に想像がつかなかった展開。
周囲にいた友人と比べて、変化が多く、予測のつかない私の人生を、時に卑下してしまうことがある。
だけど、あの時のあの展開がなかったら、出会っていない、最愛の人たち。
人生の綾がどのように織られているのか、今は知ることができない。
だけど、今生きてる。それだけでいい。きっと。それは必ずどこかへ繋がっていく。綾の一つ一つを、織り重ねている、今。