日々の雑記帳

日々考えたことのあれこれ、ピアノ、読書、美術館めぐりなど。

孤独の中を通ってつながる

小学生時代、読書が好きだった。

本が好きだった。

家族で買い物に行けば、一人で本屋さんで、子供名作シリーズみたいな本を何冊も膝の上に乗せて、片っ端から読んで待っているような子どもだった。

本が好きだったのは真実。

だけど、本当はもっと他のおもちゃでも遊びたかったし、流行っているゲームもやってみたかった。だけどなぜか、母親に禁止された。

クリスマスも誕生日プレゼントも本じゃなきゃいけなかった。

父親があられちゃんの漫画を買ってきたら、母親に捨てられた。

国語科出身の母親、国語科出ても意味がない、と嘆く母親、その母親が私に唯一許したものが本。

小学校では他の友達に馴染めないし、流行りのドラマも見てないから話題にもついていけない。休み時間には気づいたらみんなグループ化して外に出て行って、誰も教室に残っていない。

私はがらんとした廊下を通って図書館に行って、一人で本を手に取って、それを読む。

さみしいような、恥ずかしいような、みっともないような気持ちを抱えて。

本の世界で見つけたことを、共有できる友達はいない。

でも、本の世界の中に、私の気持ちを共有してくれる人はいた。

そうやってずっと抱えていた寂しさも、大人になるにつれいつの間にか薄れて行ったけれど、いまだに、本好き・読書好き・孤独な女の子が出てくる物語があると、“作者よ、お主もか!“と、仲間を見つけた気分になる。

会ったことも、話したこともない、時代すら共有していなくても、子供時代の読書経験と、それに付随する孤独感、世界を共有できない孤立感と、自分の中に満ちた想像の世界。それらを一瞬で共有できる。

あの時の孤独の体験を通して、私たちは一瞬で繋がれる。

そんな気持ちを、お互いに知らないうちに、密やかに抱きあって、見えない空間でつながり合っている。今になって、あの時の孤独の中を通って、同じ孤独を知る人たちにつながることができる。