ステイホーム週間の読書案内:コロナウィルスが問いかける生と死。世界は昨日と同じ明日が続く安穏な場所ではもうない。死を突きつけられた主人公の選択と、豊かな自然描写が今を生きるヒントをくれる「青い城」
タイトルが長くなってしまいました。
これからおよそ2週間の「ステイホーム週間」に突入します。
突然できた時間をどうしようか考えている方もいらっしゃるかもしれませんね。
コロナウィルス以前、世界はまるで「昨日と同じ明日がずっと続く」ような場所だったかもしれません。
今、私たちはそれが幻想にしか過ぎなかったことをまざまざと体験しています。
第二次世界大戦以降、昭和の発展期と、終わってみれば空虚な泡のように過ぎ去った平成時代を通して、私たちはどこかで、世間というあやふやな場所で作られた基準を通して、既視感を持って未来を予測することに慣れてしまいました。
今、コロナウィルスがもたらしたものによって、こんなにも多くの人が、「生と死」を身近にはっきりとした感触を持って感じたことはなかったかもしれません。
「青い城」
モンゴメリによるこの恋愛小説は、強烈な同調圧力の中で、自らを抑圧し、ただ周囲の期待に応えてきた、取り柄のない(とその時点では信じている)女性が、あと1年の命という宣告を突きつけらるところから始まります。
およそ100年前に書かれたにもかかわらず、まるで現代の毒母に通じる母親。
日本社会に残る同調圧力を想起させる、当時の宗教・階級圧力、社会規範。
最初の50ページ程度は、あまりにもそういった舞台装置がリアルすぎて、読むのが辛くなるほどですが、それも読み進めば、影が濃いほど、生きる喜びと光が鮮やかに目に映るのだと納得です。
私たちも今、数ヶ月前には信じられなかったような方法で、「どう生きるか?」「本当はどう生きたいのか?」突きつけられているのかもしれません。
主人公が、他者を喜ばせることから、自分を喜ばせることへと急シフトを決断し、そして実行し始める描写は、私たちが自分を喜ばせること、自分を生きることを選ぶ後押しとなってくれるかもしれません。
今、コロナウィルスのために人間の活動が制限され、周囲自然は逆にその力を生き生きと取り戻しているように感じます。中盤から終盤にかけての、「ミスタウィスの自然」描写の美しいこと!その描写を味わいながら、ぜひ周囲の自然にも目を向け、初夏の彩りを愛で、鳥の声に耳を傾けてみてはいかがでしょう?